インタンジブルパワーに気づく


     
     
   

「記されていない五線譜」

目の前に楽譜を置いて眺めてみてください。モーツアルトよし、ベートーベンよし。

五線譜上には、音を表すとフォルテ、ピアノ、クレッシェンド、運指番号などが細かに記されているでしょう。つまり、五線譜とその上の行には曲が目に見える形(有形)で書かれています。一生懸命に練習を重ね、そのとおり忠実に楽器を演奏すれば、誰もがある程度は曲を弾けるようになります。ただし間違いなくを奏でても音楽にはなっていません。では「音楽になる」とはどういうことなのでしょう。

さて
今日、あなたが手に入れたコンサートの切符、なぜその指揮者の、そのプログラムでなければいけなかったのですか?ただ、ベートーベンがききたいからではないはずです。指揮者の音楽にかける情熱や曲への解釈といった精神性、情感、それによって導かれるアインザッツ、テンポやアゴーギグ、間の取り方などを味わいたくてコンサートホールに足を運ぶのではないでしょうか?これらは楽譜に記されてはいません。楽譜に記るすことのできない「空白の五線譜」とでも名づけましょうか、そこには秘められた指揮者の目には見えないインタンジブルな力によって、はじめて音が紡ぎだされ、音楽として完成します。 

創作する作曲家は楽譜を有形な手段として用い、指揮者はそれをさらに深く読み込んで自分の解釈も入れこみ、音楽を紡ぎ出す、その意図を受けて演奏する奏者、そして、オーディエンスの私たちのスピリットが結ばれる一瞬に音楽のインタンジブルパワーが全開します。一瞬ごとに空気の中に消えて行く芸術であるのに、あなたは感動し、潤いと夢をもたらせてくれる音楽に、高い切符を支払っても納得がゆくはずです。

「楽譜がすべてを著わしているわけではない、それゆえに指揮者や奏者は見えないものを深く読み込み、全身全霊で音楽に身をささげている様が、音を通してひしひしと伝わります。全員が一曲のために命がけです」

リヒャルト・シュトラウスの語ったという言葉を、イタリアの音楽評論家レンゾ・アッレグリが、ある指揮者の証言として、つぎのように紹介しています。

 ――リヒャルト・シュトラウスがリハーサルの時に突然現れ、自作のドン・ファンを聴いてこう言いました。「みなさんは音符を完全に演奏なさる。しかし、私が望んでいることはそうしたことではありません。音楽はもっと他のことからも成り立っています」(中略)その言葉を聞いて、猛練習をしたおかげで仕上がりは完璧だと思っていた音楽には「魂」という最も大切なものが欠けていたのだと指揮者と楽団員たちは気付いたのでした――