タンジブル(有形)&インタンジブル(無形)


     
     
   

「人は、有形と無形の価値によって生かされている」

津波と原発事故からすでに3年になります。未解決の問題をいっぱい残し、いまだ、政府も国民も不安の日々を送っています。3月、本来ならば水仙や桃の花が美しい東北地方の里山。その情景はすっかり消え去り、故郷に帰ることもできない人々を思うと、天災に直接かかわっていない私たちでさえ悪夢を見続けている状態です。

地震と津波のすぐ後のテレビで80歳近いお爺さんが「家は流れしまったけれど、また、建て直すことができる。頑張ってまた建てる。だけど家族は流れてしまった、もう戻らない」と淡々と語るその姿から言葉にならない悲しみが伝わってきました。何気なく語られたこの言葉は非常に哲学的です。人間が作った家はタンジブル(有形)であって、また手に入れることは不可能ではありません。しかし、お爺さんが失った家族との団欒、いたわり、励まし、愛といったインタンジブル(無形)の価値は取り戻すことができません。それらは、お金で買えることでも、解決できることでもありません。なぜなら、ひたすら人間が心で感じる実体のない価値だからです。

HOUSE=家屋
HOME=家族

タンジブル(有形)は、いつの日か必ず消滅してしまいます。それが形有るものの運命です。そこに「在る」ときの価値です。しかし、インタンジブル(無形)は、未来永劫無くなることはありません。東北の恐るべき天災によって、私たちはそのことに気づかされました。普段の生活では、ことさら感じなかったこの価値について、考えるべき大きな機会であると思います。どちらも欠くことのできない大切なものです。両方を失ってしまったお爺さんの言葉が私の耳について離れません。家屋という有形を再び手に入れたとしても、家族という無形の財産は戻りません。3年の月日が経とうとするいま、お爺さんが元気でいることを祈るのみです。