日記は英語で、ダイアリー(diary)と言います。もともとは、ラテン語で「日々の割り当て」という意味だそうです。フランス語ではジュルナル(journal)。“こんにちは”の「ボンジュール」(bonjour= 良い日)にも英語のdayにあたる言葉の要素が見つかります。仏和辞典を引くと、新聞、定期刊行物、日記、日誌など、さまざまに訳されていることがわかります。だから、日記を書く人は人生の毎日毎日を記録するジャーナリスト(journalist)と言えるかもしれません。
日記は人によって、つけかたの流儀が違うでしょう。3年、10年日記という記録式のものもあるし、自分で日記帳を選んで心のおもむくまま書く人もいます。私は30数年日記をつけています。主人や友が買ってくれたノートや自分で選んだものや、海外旅行の時に求めたものさまざまです。
若い時の日記帳から順に読み返して、よくこんなに書き続けたものだと自分でも驚いています。そして日記帳が意外な見えない力を持っていることを発見して、さらに驚いている自分を発見しました。作家などのケースは別にして、一般の人が書く日記は、そもそも他人に読んでもらうものではありませんから、嘘を書く人はまずいないでしょう。自分史であり記録です。だからこそ信用に値するのです。
日記は二つの側面を持っていると常々思っています。一つは起こった出来事、メモとしての役目、管理帳など記録としての役目をします。たとえば、健康に関し、気候に関し、年間イベントや、祭りごとなどは後になって役にたちます。私の場合は、コンサート日誌、主人の介護日誌を克明につけていたおかげで、人のためにも役に立っています。
いっぽう、人生の段階での楽しいイベントの数々、苦しい、悲しいエピソード。それを味わい、乗り越え、積み上げた過去の経験を自分はどう考え、対処したか?それを内面的な記録として残したとき大きなインタンジブル・パワーを発揮します。読み返すことにより、自信や、励みを得たり、勇気を得たり、さらに時には慰めも得られます。あの時、頑張り、一生懸命考え、解決した。だから、いまも頑張れるというのが、私にとっては、いちばんの日記の効用です。思いもよらぬ自己発見にもつながります。自分が見えてくるのです。
私は、日記をつけることによって変わってきたのでしょうか?社会の出来事や、時代、年齢によって後天的に身に付けたものもありますから、多少は変化しても、生きてきた過去と今の自分が、案外変わっていないのだと気づきます。自分だけのエキスクルーシブなメモリーとしても懐かしさを感じる年ともなれば、日記はあなたの友としても一番身近に存在してくれます。
日記のタンジブル、インタンジブル、その両面からあなたは過去を確認するための参考書として利用できます。あなた自身が書き記したからこそ、です。
文房具屋さんに行ってあなたのスタイルに合う一冊を見つけてください。今日という日に、天から頂いた日々の割り当て(daily allowance)をあなたはどのように記すのか、新年も近いことですし、トライしてみてはいかがですか?書いて後悔するという人はいないでしょう。3行、5行でもいいじゃありませんか?
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