インタンジブルを深める




   花から学ぶ  
     
 

私の大好きなアメリカのペーパーウェイト作家、ポール・スタンカードは作品に対して確固たる哲学を持っていました。ガラスの中に繊細で緻密な花の姿を封じ込める。さらに、球根や根など土中に隠された見えないエネルギーをも球体に入れ込む。スタンカード自身がこれを「地中の精霊」と呼び「地中のすべての生命が、地上に花を咲かせる」といっている。これこそ花の命の根源となるインタンジブル・パワーを感じ取るスタンカードの芸術への基本姿勢です。普段私の言っている「見えないところにある力」はまんざらでもない、こんな立派な芸術家にそう言ってもらっているのだからと嬉しくなりました。

植物学者ベスラーの花の絵も地上の部分よりむしろ地下の部分に焦点を合わせ、みえないところに宿る潜在的エネルギー、インタンジブル・パワーを精緻に捉えています。

それほど人間を虜にする花の美しさは、実は、おしべとめしべの性器の合体であり、より美しく咲くのは、種の保存のために目立つように装おう努力をしているからだそうです。なるほど、植物学的にはそうかも知れないけれども、細い茎の先の額にシッカリ掴まって枯れ落ちるまで美しさをかろうじて維持している姿にいじらしさと、無形の力を感じます。

あふれる光の中で美しい色や形をしている花も、正面からばかり眺めている表花に対し裏から見れば異なる発見があります。私はそれを裏花(造語)の姿と呼んでいます。表面からは美しさを、裏からは力強さを感じます。ある本によると、花が、もうこれが限界だと悟った時、地下から吸い上げる自分のための栄養分を隣のまだ若い花に分け与えるのだと書いてありました。それは一つの見方として私たち人間のために参考になります。

追い詰められた気分や、落ち込んだ時、難しい本をひも解くより、庭先や野原の花を謙虚な気持ちになって観察するととても良いと思いませんか。花たちは実にいろいろな事を黙って教えてくれています。季節に順応して芽を出し、花を咲かせ、枯れ、仲間に栄養を与えて消えてゆくことをあたりまえのように受け入れている花の生涯はどの時点でも絵になります。人間だけはモノには時があることを認めず、抵抗し、もがき続ける。私たちも人生のどの時点でも花のように恰好いい人間になりたいものです。

表花(美しい、見える部分)、裏花(見えないけれど見える表を支える部分)、それぞれの役目を果たしている花たちは、人間とちっとも変らないのではないか、異なる点は自然の摂理を淡々と受け入れるか受け入れないかだけだ・・というのが老境に入った私の花からの学びです。

 
                                                        K.Yamakawa    
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