インタンジブルを深める




   五里霧中  
     
 

「五里霧中」という熟語があります。深い霧が五里四方にたちこめ、まったく方角がわからないような状態に陥ることですが、あれこれ迷って判断がつかない意味にも用いられてきました。でも、私はなぜかこのインタンジブルな言葉が好きです。この言葉は本来人間の一寸先が闇の人生をどう生き抜くかを表現した熟語なのでしょう。

先の見えない霧の道を分け入ることに多少のわくわく感があり、冒険心も駆り立てられるからです。ロマンチックな雰囲気さえ漂います。でも、いまや”五里”なんて言われても、何キロメートルの距離になるのかわかる若い人はほとんどいません。カーナビがすべてを解決してくれる時代です。

21世紀入って、私たちは情報を瞬時に得ることが出来るようになりました。あなたが押し入れに隠れていようが、地下室に潜り込もうが、無人偵察機がピンポイントであなたを殺すことができる時代です。あなたはもう自分を隠しようがない。イギリスでは監視カメラ450万台が取り付けてあり、わが国も250万台ぐらいらしい。来年からは個人に番号が与えられ、情報を開示して丸裸にされるわけです。利便性が飛躍的に増すというのですが、これまで身元確認のためにはパスポートと運転免許証をみせればOKだった日本人にとって、個人に番号が付けられるのは何だか怖い気分です。要するに、何もかもが見えみえ、透けすけ、霧が一切かからない世界になってしまうのです。

私は最近、このような世界で生きてゆくことが怖くなりました。人間がハイテクをリードするのでなく、ハイテクが人間をリードしています。その代償として安心、安全を失うのなら、たとえ多くの人から反論をかおうが、いっそ文明の進歩スピードを落としたほうがよいとさえ思います。

あなたは「見えない怖さ」(インタンジブルの怖さ)と「見える怖さ」(タンジブルの怖さ)のどちらが怖いと考えますか?どちらも怖いでしょう。でも、私は見えない怖さ、例えば、人の心の内側や、死や、保証のない明日など、手に付けられないことの恐怖に振り回されたくないと思うようになりました。どう戦っても手が付けられないし、どうしたらよいのか答えもでない。それに人生の残り時間もそんなにない。思ったところで仕方ないというあきらめもある。この齢までくれば度胸もすわります。それよりも管理された情報の世界で生かされ続けるほうが怖い。なぜなら霧はいつか晴れますがこの世界では、ますます人間から人間らしさが奪われていくからです。

人間は不可解でミステリアスなものに魅了されます。「怖い」という感覚も一種のインタンジブル・パワーがあなたの心に生じさせたものです。「五里霧中」という言葉にノスタルジーを感じるのは私だけでしょうか。この言葉をも一度取り戻し、味わいたい。見えないものにおびえる姿は人間の可愛い側面ですね。ハムレットだって自分の影を幽霊と間違えたのです。

もし霧の中に、幽霊やキツネが提灯を持って出てきてくれたら、私にとってこれはもう、ディズニーランド級のファンタジーでしょう。

 
                                                        K.Yamakawa    
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