インタンジブルを深める




   口から出まかせ  
     
 

「よくそんなことがとっさに出てくるわ」」「いい加減なことをいってる」など詭弁家でその場を胡麻かし、とっさに取り繕い、相手をやり込める人がいる。一つの才能だろうか。口にホッチキスでもしてもらえたらと思うぐらいなお喋りの技です。こういう人たちの頭脳の構築はどうなっているのかしら?頭脳と舌までの距離が短いのか、瞬間湯沸かし器みたいに思考できる天才なのか、私には解りませんがその場をとりあえず、やり過ごす人がうらやましいものです。あまり重大でない会話ならばこれで良し、ただし、深刻な問題や、重大な事項を解決するにはその場しのぎでは済まされません。なぜなら責任というものがついて回るからです。

その反対に不骨頂でおとぼけ、とんまと言われる人がいますが、こちらはなぜか人好きのする不器用さが人間関係に潤いを与えます。

プロの漫才師はどうでしょう?さも、口から出まかせに聞こえますが、ものすごい努力と聞きました。街に出ても、ネタを探し、人間を観察しあらゆる角度から社会現象を分析しているそうです。出まかせに見せる技術と出まかせとは大きく違うのですね。この人たちこそ頭脳と舌の間にはとてつもない努力と、人間をタンジブルにかつ、客観的に見る目と、人の心の底に横たわる、喜怒哀楽をインタンジブルに感じ取る力を持っているのだと思います。それに時代の考察もちゃんとなされています。

私はサラセン(サラリーマン川柳)が大好きで、当選順に百番までベッドに入って読んで、笑い転げるのが一年の欠かせない行事になっています。私は綾小路きみまろさんのフアンで、この人が舞台に出てくるだけで笑ってしまいます。

”ねえ、そこのおばさん・・あれーっ、失礼しました、おばあちゃんだった“
これはでまかせではありません。これを聞いて怒る人はいません。笑いの計算と真実を織り交ぜたきみまろさんの才能です。

何事も付け焼刃でその場をしのげません。口から出まかせにはいずれリスクが付きまといます。それに信用と品位に欠けるでしょう。チャックをと言われる前にこの年になると、言葉には大きなインタンジブルがあって、吐いてしまったインタンジブルな言葉はもう、ひっこめることができないということを知っておいた方がいいですね。

”後悔は吐いた言葉のあとにくる“・・

 
                                                        K.Yamakawa    
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