インタンジブルを深める




   ナナメから読む  
     
 

テレビや新聞、雑誌、月刊誌、書籍、パソコンに情報があふれています。どこからどこまでが真実で、正しい情報ととらえてよいか解りません。情報を与えてくれるタンジブルな利器は恐ろしいぐらいインタンジブルな力を持っているのです。実際に私があまりにも、まっすぐ受け入れるので、友人から忠告を受けたことがあります。たまには裏からとは言わないけれど、ナナメから、首をかしげながら見て、読んでご覧と。

人生、ある年齢に達すると、これまでやってきたこと、見てきたこと、聞いてきたこと、教育、環境でかなり偏った見方をするようになります。私の場合も、これが自分流に凝り固まっている恐れが充分にあります。何かを批判するにしても、自分の主観だけを貫かず、客観的に見る訓練をしないといけないと猛反省する今日この頃です。見えること(タンジブル)ばかりを信じ、見えないところ(インタンジブル)に存在する真実がいっぱいあるということを知って、社会音痴にならぬよう、何かを切り捨てて、何かを取り入れる。その上で、さらに、新しい情報がすべて真実かどうかを人生の道程でかき集めた情報の集大成と照らし合わせながら判断する。それが理想ですが、年齢とともにむずかしくなります。

マスコミは私の目には「恐怖の洗脳装置」のように映ります。私たちに本当に真実に近いニュースを流してくれているのでしょうか?あまりにもインタンジブルな、それも底知れないパワーを持っているがゆえに、巨大部数の新聞の活字や、全国ネットのキー局テレビの映像といったタンジブルなメディアは、人間をだませるだけだますこともできる。その責任は大きいのです。

もはや、だれ一人、グローバルにつながらず生きてゆけない世の中になりました。地球のどこかがハクションすれば、そのとばっちりは当方にも降りかかるぐらい至近距離なのですから、菌がたちまち飛んできます。

これまでは、じかに話して、実際に見て触れて、嗅いで、味わって、安心して生活することができました。ところが、加速度的なIT技術の発達で、バーチャルだなんだとか、五感が使えない社会に突入して、便利さと引き換えに「疑わなければ危険だ」的な情報社会が到来するなどだれが想像し得たでしょう。これが時流と言うならば、自慢ではありませんが、私は多少(?)乗り遅れております。

でも、しかし、とは言いながら、明日からは人の書いたもの、テレビに映る映像をナナメから見てみたいのです。斜頸にならないように気を付けながら...
老人カルチャースクール「ナナメから読んでみよう」講座、主催○○新聞社などというのがあったら、ぜひ行ってみたいものです。

 
                                                        K.Yamakawa    
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