インタンジブルを深める




   天災と人災  
     
 

「天災は忘れた頃にやってくる」—―寺田寅彦という物理学者の名言が残っています。随筆家、俳人としても知られたこの科学者は昔から天変地異にさらされていることをすっかり忘れ、のんきに暮らしている日本人に警告を発したのです。

はるかな昔、人類がまだ文明というものを知らなかった時代、人間は極端に自然に従順で、自然にさからうような大それた企てはしなかったからよかったのです。ところが、文明が進むにしたがって、人間は次第に自然を征服しようとする野心を抱くようになりました。重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろな構築物を作りました。ところが、調子に乗って自然の暴威を閉じ込めたつもりになっていると、あるとき突然、檻を破った猛獣の大群のように自然が暴れ出して、高い建物を倒壊させ、堤防を崩壊させて、人命を危うくし、財産を滅ぼすのです。もとを正せば、その原因は天然自然に反抗する人間の細工だと言っても間違いではないでしょう。この科学者はそう結論付けています。

テレビの番組に「去年の今日はどんな日だったか」というのがありますが、世界中で何一ついい事件がなく、天災と人災のニュースばかりなのには驚かされます。地球上のあらゆる地域で猛威を振るう地震、台風、洪水、豪雨、竜巻、自然火災などが、忘れたころ場所を選ばず襲ってくる。これこそ圧倒的な力で人類を襲う、避けることのできない、インタンジブルな力、それも最大級のものです。

その一方で、明らかに人間自身が作り出すタンジブルな災害がのべつ幕なしに起こっています。戦争、虐殺、テロ、爆発、事故、大きなことから小さなことまで数えきれない頻度です。「こんな世の中に誰がした」と問うのは愚問です。あの人が、この人がと、責任逃れは出来ません。全人類の欲が、タンジブルをめがけた人間がこういう社会を創ってしまったのです。これらの人災ももう、避けられない状況です。

天災はnatural disaster(自然災害)、人災はman-made disaster(人間が起こした災害)と英語では言うそうです。man-madeとは、まるでhomemade(手作り)みたいに簡単に聞こえます。いや事実、簡単に作られている気さえします。

昔は天災に苦しみながら、それでも人災は現代よりずっと少なかったことでしょう。いまの時代に生きている私の例ですが、突然襲ってくる天災に水を備蓄する、常備薬を確保しておく、逃げる場所や連絡網などの確認をしています。本当に万一の時役に立ってくれると祈りつつ、用意しているつもりでいても、いざ天災が襲った場合、何もかも吹っ飛んでしまうだろうと観念をせざるを得ません。「ああ、人間いつ何かあっても自然の力に勝てない、その時はいたしかたない」などと、とっさに心に浮かぶ切ない心構えも準備の一つとは情けないことです。

ガタガタと揺れたらすぐ窓を開けてスニーカーを履く練習はやっとできました。今晩のおかずはいまだ高いセシウムを避けた献立にする。ビルの工事現場の下を避けて通る。人ごみの多い場所にはなるべく出かけない――ストレスにまみれる毎日が当たり前になったということは恐ろしいことには違いありません。いっそのこと、鈍感になったほうが人間は生きやすいのでしょうか? 堂々巡りの自問を続ける毎日です。

 
                                                        K.Yamakawa    
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