インタンジブルを深める




   答えのない問い  
   
 

人間が死ぬ前、あんなに苦しみぬくのは、神様がそうさせているのではないか。看病に周囲をあんなにくたくたに疲れさせるのは、これも神様の仕業ではないか。だから愛する人の死の悲しみと並行して一抹の安堵感と諦めがつく。これは、高齢化社会のどうしようもない現実です。

この世に生まれた瞬間から人間は死に向かって生きています。コインの裏表のように死を背中にしょっています。重くて背負い切れないぐらいの苦しみを背中に人生を生きることは大変です。でも、人間はそれがどんなに苦しくても、死よりも良いと考えています。苦しみがあるから耐え抜く。生の喜びは、その苦しみによって成り立っているアンビバレントな関係といえるかもしれません。

人生の最後には「穏やかな死」を迎えることが理想かもしれませんが、こればかりはなかなか思い通りにはいきません。認知症になったり、植物人間になれば自分の死への意識さえもなく終焉を迎えることになります。どんな「死」にしろ、人間は平等に、誰もこれから逃れられません。

特別の期間に“生”をもらってしまった私たちは、その期間を大切に生きなければなりません。“人間一人が果たすべき役割を与えられているはずだ。”そんなことを考えながら、ふっと一枚のCDを手に取ってみました。

アメリカの作曲家、チャールズ・アイヴス(1874-1954)の「答えのない問い(The Unanswered Question)」と題する瞑想的で奇妙としか表現できない音楽です。“どうか答えて”とトランペットが鳴り響いているように聞こえるが明快な答えは返ってこない。あいまいで濁ったような木管が答えるのみ。問いと答えの押し問答のような曲です。極めて短い曲であるのに永遠に続く謎解きのような響きを聴きながら、私はアイヴスが「”死”とはなんぞや?」というインタンジブルな問いを発しているのだと直感しました。いち、年老いた日本人である私とアイヴスは人間としてSymbiosis(共生)しているのだと曲に慰められ励まされました。答えが解ろうはずがない・・・それが答えなのでしょう。古今東西、人間はこの問いを一生涯にわたり一度も問わなかったという人はおそらくいないでしょう。地球上にたくさんの仲間がいてよかった、これが私とすべての人との共生的なつながりです。

年を経るごと、死と戦えないということを悟り、心身は弱る一方だけれど、現実を受け止める力は強くなるのはありがたいことです。死の問題は恐怖そのものとしか解釈できていなかったエネルギーあふれる若い時と違い、「死への予習」ができてきたのでしょう。この果てしなく「究極のインタンジブルな問い」を考えるのは、今をもっと充実させようと思う生への希望があるからでしょうか。

堂々巡りの“答えのない問い”、大学の入試にも出てきませんが、この人生の答案用紙にとり組めば、答えらしき答えが出なくとも、多少の納得は得られるはずです。それは生きている時間こそ大切なのだということを死から逆説的に学ぶことです。

 
                                                        K.Yamakawa