インタンジブルを深める




   ルサンティマン  
   
 

イソップ物語のキツネは高いところにたわわにぶら下がっているブドウに届かなくて悔しくて仕方ない。その気持ちをどうにか静めるには”誰が食べてやるものか”とつぶやき諦めるしかない。でも決してその気持ちは、くすぶりはしても消えないことでしょう。

ルサンティマンという言葉はニーチェによって広まった言葉ですが、フランス語で繰り返す(re)感情(sentiment)が語源です。いい感情が繰り返されるのならいいのですが、ルサンティマンはぐずぐず何時までもやむことのない悔しい、あるいは、うらやましい、妬ましい思い。長く続く暗い感情から抜け出せない負のインタンジブル・エネルギーに満ち溢れています。

子供のころ友達に比べて“なぜ自分は算数がこんなに苦手なのだろう、みんな、すらすら解いているのに、私が特に頭が悪いわけではないのに”“どうして先生はあの子ばかりを可愛がるのだろう”など、卒業式のあとまでひきずっていました。幼児期のトラウマは傷になって大人になっても癒されていないことがあります。“どうせ理解してもらえない”とか、“なんでこんなに私だけ、我慢しなければならないのだろう”と、一生を通じて繰り返し止むことのないネガティブな感情を全然持ち合わせない人もいないでしょう。みじめでぶつけるところのないこの感情は、個人的なものだけでなく、組織や、人種、国家間でも起きる厄介な感情です。特に、戦争や民族間の争いやイデオロギーの問題は世紀を超えて横たわっています。隣同士の、いや遠いあの国々も、あの民族の間にもこの感情は厳然と存在しています。これを乗り越え肯定的に考えるようにするにはどうすればいいのか知りたいものです。

藁人形を作って針を刺すとか、ああ怖い・・・お酒を飲んで憂さ晴らすとか?でも覚めたらまた、元の木阿弥です。ジェラシーのほうがまだしも明るい。見える相手に打ち勝つこともできる。でも、ルサンティマンは見えない心の中に巣くっている敵なのです。“しつこい”“暗い”“女々しい”“くどい”など否定的な感じがします。

ある本に、美醜、善悪、貴賤、優劣といった相対的な価値観を捨てるのが老子の考えであると書いてありました。なるほど、いつも何かと、誰かと比べてばかりいて、自己評価を低くする必要はさらさらありません。ルサンティマンという言葉を広めたニーチェ自身も老子の思想をとても敬っていたそうです。ニーチェ自身も人生の中でいっぱいルサンティマンの感情に引きづられていたからでしょう。この負のインタンジブル・エネルギーを追い払うには、“赦す”という努力、“忘れる”ということをしない限り、幸せが逃げてゆくばかりです。たとえ、大きい、小さい、高い、低い、強い、弱い、があったとしても感じるのは自分であって、人はそんなことに関心を寄せていません。自分の心に巣くっているこんなネガティブな粗大ゴミは、出来るだけ早く捨て去るようにしたいですね。

 
                                                        K.Yamakawa