インタンジブルを深める




   気配  
   
 

動物が危険な「気配」を本能的に察知する能力は、人間のはるかに及ぶところではありません。

しかし人間には「気配」を感じるにしても、動物とは違った能力があります。人間には「知性」があるからです。それは「かすかな兆候」を見逃さないことであり、空気を通って伝わってくる何かを、危険だけではなく美しさなどのさまざまな「気配」をその人の持つ細やかな感性が捉えるインタンジブルな世界です。

日常生活のなかで、人間関係、健康、仕事の上でも、事件や事故に際してもあなたは何度か、そんな「気配」を感じたことはないでしょうか。生きてゆくあらゆる面でとても大切なインタンジブルな力です。「やっぱりそうだった」「早く気が付いてよかった」という経験もあるはずです。

「社会的なリスク」を察知する能力と言い換えてもいいかもしれません。心理学者の研究によれば、人間は25%の人がSSP(Super sensitive person)、超繊細型人間に 属するそうで、神経が細やかで傷つきやすく、ハラスメントにあうリスクが高いといわれているそうです。世の中にはとんでもなく鈍感な人もいますし、繊細すぎて見ていても痛々しい人もいます。あなたの自己分析はどちらでしょうか? 横断歩道を決して赤信号で渡らないタイプなら、リスクをちゃんと避けて渡る人でもあるのですから、慎重すぎるあなたの性格をプラスととらえて、前向きに生きていきたいものです。

「気配」と言えば自然界に対する私たちの感じ方は日本人独特の文化を作り上げています。一昔前までは四季の美しさ、その移ろう姿とその恵みを生活の中心に据えていました。百花繚乱の春、緑濃い木々、青い空と白い雲の夏、春に劣らぬ衣装替えした秋の木々の紅葉を、雪化粧と、目に飛び込み自然の与えてくれるタンジブルな風景を人間は楽しんできました。

しかも四季にはプレリュードがあって、早春、初夏、初秋、初冬などそこはかと感じられる風情や空気感がありそれを捉え、微妙な変化をめでるインタンジブルなパワーを私達は持ち合わせています。四季の間に見え隠れする「気配」を人びとは感性で捉えて文化を作り上げてきました。たとえば、俳句や和歌の季語はそこから生まれました。

飛鳥時代の女帝、持統天王はこんな歌を詠んでいます。

   春すぎて夏きにけらし白妙の衣干すてふ天の香久山

コンクリートジャングルに住む現代人が、季節の変わり目の美しさを枕草子や芭蕉の句や百人一首などで味わうしかなくなったとしたら悲しいことですが、移ろいゆくゆく自然の中に「もののあわれ」を感じろといっても無理な話かもしれません。鈍感になったのか、スピードに乗ってしまったのか,天災、人災がそれらをぶち壊してしまったのか、「気配」という言葉自体も重みを失いつつあります。

こんなに頻繁に季節を問わず、世界中のあちこちに台風や、ハリケーンが襲ってくると、「地球が崩壊する〈気配〉ではないのか」と不安になります。決してブラックジョークではありません。

 
                                                        K.Yamakawa    
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