インタンジブルを深める




   バリアフリー  
   
 

朝、絨毯の端に引っかかって転んでしまった。不注意と足の筋肉の衰えのせいか、誰が見ているわけではないのに、起き上がるときのはずかしいこと、悔しいこと。

家の中、駅、公共施設、あらゆるところでバリアフリーがどんどん増えて、お年寄りや車椅子には安全を確保できるようになってきていますが、それでもなおじゅうぶんとは言えません。高齢化によってお年寄りもどんどん社会生活を家庭以外に活動を広げているからさらに、いたるところでバリアフリーは必要です。これは高齢者や介護福祉のタンジブルなバリアフリーであって、バリアーの意味はもっと広く深いと思います。

私は、最近ドイツの高齢者施設を訪問しました。ドイツ語ができない私はどうコミュニケーションをとったらいいのか少し戸惑いましたが、なんと、そんなことを考えることすら不要でした。私たちは、笑い、言葉以上に通じるものを互いに感じ合い、すっかり打ちとけ、みんな一つの輪になりました。言葉や文化や慣習の違いさえいかほどの壁にもなりませんでした。

微笑み、それも心からのスマイル、ハグ、握手、ただ横に座って手をさすってあげる、いっしょに飲む、車椅子を押す、手を取って歩く…これだったら誰でも出来るでしょう。本当に楽しかった、そして、励まされ、また訪ねたい、もっと一緒にいたいと思いました。
数人とのお別れは涙でした。

高齢化が進むにつれて福祉、介護の問題は膨れ上がり、今や政府の喫緊の課題になりました。元気で介護をする側の人、介護問題を抱えている家族の誰もが、若い人だって、いずれ介護される側に回り、すべての人が老いていきます。この現実を受け入れるいちばんの近道は、目の前に老いている人の姿を見、その人の心を感じ取り、やがて来る自分の姿を思えば、どうしてあげてよいか理解できるでしょう。介護は思いやりの創造です。

医療や介護、安全な環境といったタンジブルな面だけでなく、高齢者の見えない心に対するインタンジブルな面の介護も大切です。老人の持つ尊厳をレスペクトし、優しさやお年寄りに接するマナーなど、介護の問題は義務教育に取り入れてもいいと思います。小さいころから「あなたは、おじいちゃんにどうしてあげたい?」「おばあちゃんを喜ばせる方法は?」など幼い時から学ばせればどうでしょう。ポジティブなブレインウォッシュとでもいいましょうか。

見えるバリアー、見えないバリアー、二つの側面から介護の世界を考える必要があるのではないでしょうか?高齢者は体だけでなく心も痛いのだということを知っておきたいものです。


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                                                        K.Yamakawa