“疑う”という言葉にはどうしても暗いイメージがつきまといます。でも、疑うことはいいことです。とくに、「見えないものを見ようとする」場合には、この“心の作用”がどうしても必要です。疑うことをポジティブに捉えれば、真理、真実を知るための一里塚であり、正しいことを確認するための初期段階の作業であることは間違いありません。
病気は医学の進歩によって血液検査でかなりのことがわかります。事や物に関しては疑いを晴らす方法はいっぱいありますがインタンジブルな人間の心も検査してわかるといいのにと思います。リトマス試験紙でもよいからせめて、酸性か、アルカリ性だけでも判定できればいいのに。
何も疑問を持たず生きている人はいません。家族間でも知人や友達に関しても、身体的な事や仕事上でも、時には”もしかして”“ひょっとして”“まさか”“やっぱり”などと考えることがあって当たり前です。眠れなくて悶々とする日もあり、疑いが晴れてすっきりすることもあり、人間生活とは”疑い”と共存し、インタンジブルなものをタンジブル化するためにかなりのエネルギーを使っています。トランプ大統領も相手の心が読めなくて、振り回されているのですから、凡人の私たちは些細なことが頭によぎり、右往左往するのは日常茶飯事です。”疑心暗鬼“・・・暗闇の中に鬼がいるのではないかと疑う、いや、疑うから暗闇の中に鬼がいると思ってしまう。
暗い顔をしている人、解せない感じで日々を過ごしている人は暗雲垂れこめた中を確証がないままストレスを一杯ため込んでいるからでしょう。不安や不信、恐れ、疑いといったネガティブなインタンジブルパワーは結構強力な力で人間を締め上げます。
来年は戦争が起こらないだろうか、地震が来ないか、健康でいられるだろうか、あの人のことを信用していいのか、失せ物が見つかるだろうか、いつもいつも疑ってばかりいるのは馬鹿げていると承知していても、そんな思いに駆られない日は一日もありません。
疑い深い人のこと、容易に信じようとしない人をdoubting
Thomasというそうです。キリストの12人の使徒の一人、トマスはキリストの復活を疑っていたことから出てきた言葉で新約聖書のなかに出くるそうです。私はトマスに学んで真実をいつも突き止めたいと思います。
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