現代の世界にあふれかえる膨大な量の情報や知識の扱いにかけては、若い人にかないません。娘や息子より、孫たちのほうがさらに早く的確に知識を広げているありさまです。今の世は、スマホさえ持っていれば、ほとんどの知識は情報として手に入れることが可能です。パソコンやスマホ、ロボットやAIの発達につれ、高齢者はますます、置いてきぼりを食らうのでしょうか。「デジタルディバイド」と呼ばれる格差は、まさに至近距離、こんな身近なところにも迫っています。
文明の進歩は人間の知識さえも安売りしています。知識はもはや努力して身につける物でなく、「情報」として引っ張り出すことのできる便利なツールです。そのために、だれでも手軽に知ったかぶりができます。コピペなどが倫理的な社会問題になるのも、そのせいです。もしあなたが大学生なら、卒業論文などは4年間も学んだ集大成なのですから、あなた自身のオリジナルな知識で書かれたものでなければなりません。本を読み、学び、努力の結果として習得した知識なら、それは人に感動を与え、人の賛同を得ることができるインタンジブルな力を持っています。
いずれにしても、その形態にかかわらず、こうした「情報」は、平面的なパソコンやスマホから瞬時に得ることができます。むろんそれは、タンジブルなものです。しかし、あなたの得た知識が真正のものなら、時を経て熟成され、かけがえのないインタンジブルな知恵となるということを、覚えていいでしょう。
知恵は六面体に仕立てた立体的な箱に例えることができます。新たに付け加えられたのは、あなた自身がこれまで生きて経験して身に付けた奥行です。そしてこれからも生きていく上で役に立つ、あなただけの宝の箱です。風呂敷や紙のようなものに包んだ賢さはすぐ吹き飛ばされたり、こぼれ落ちたりしますが、箱の形をした賢さにはそのようなおそれはありません。よく“小引き出しのある人”というような表現を聞きますが、「知恵の箱」にも引き出をつけておくともっといいでしょう。色々なものがきっちり整理されて詰まっているので、いざと言う時にパニックになることなく、的確な判断を下すことができます。無意識下でインタンジブルな知恵が作動し始めるからです。失敗やまずい経験であっても、時がたち、熟したときにそれは大きな力を発揮します。むしろ知恵の素は、失敗や苦しかった経験が発酵し、脳の中で作られるのです。
高齢者が、とうてい若者がかなわない知恵を使いこなすことが出来るのは、経験と年のたまものです。その知恵は、お漬物のように漬け込んだ味がします。パソコンやスマホで開けるようなものではありません。外からは見えないインタンジブルな賢さです。
聖書や仏典や、タルムードが読み継がれ研究されるのも、そこには古今東西変わることのない人間に立脚した知恵が結集しているから。これこそ2000年以上の人類の経験の集大成なのです。
*『日本人になったユダヤ人』~「フェイラー 」ブランド 創業者の哲学~(大江 舜)が発刊されました。亡き主人の伝記でございます。ご一読くださればうれしく存じます。書店、アマゾンで取り扱っています。
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