新しい天皇が即位された2019年5月1日、日本中が祝賀ムードにわきました。東京の街角には群衆があふれ、大声をあげながら新聞の号外を奪いあっていました。この大騒ぎを日本だけでなく外国のテレビ局クルーも取材していました。新しい時代「令和」はこのようにして始まったのでしたが、「令和」は、8世紀日本の詩歌集「万葉集」から素晴らしい手際で選ばれたインタンジブルな「美と調和」という意味の言葉です。ニューヨークタイムズには「令和」は“Order and Peace”と紹介されました。
元号は外国の方には、ちょっとわかりにくいので、つぎのように説明しています。
西洋のグレゴリオ暦に平行して、日本では天皇の治世に応じて、年号をつけます。その結果、2019年5月1日という日は、ひと夜にして平成の時代から令和に切り替わりました。
歴史をひもとけば、同じような元号は中国、朝鮮、ヴェトナムなどのアジアの国にあったことがわかります。でもこの制度は象徴としての天皇制を残す日本を除いて、地球上からあとかたもなく消えてしまいました。したがって、この文化的にもユニークな元号制度はいまや「絶滅危惧種」といってもよいものになっています。
1世紀は100年です。この「時」の単位を元に考えれば、世界の歴史の時間軸が非常によく理解できます。しかし、私たち日本人には何か物足りないような気がします。欠けているのは、私たちが生きている「時代の香り」といったものでしょうか。なぜなら元号には、単なる連続したタンジブルな数字では表現できない懐かしい記憶を呼び起こす力があるからです。平成、昭和、大正、あるいは明治という言葉を耳にしたとたん、私たちの心には多くの感情や光景が鮮明に浮かびあがります。これが元号の素晴らしい点でしょうか。日本人はもうひとつの「時」を生きているのです。ある意味で、とても贅沢なことです。
「令和」という言葉の由来を知ったとたん、圧倒的多数の日本人がこのネーミングを好意的に受け入れました。わずか二文字の「令和」とう言葉の裏には、それこそインタンジブルなもの、すなわち歴史、文化、伝統や感受性が秘められているのです。私もこの「令和」を誇りと喜びをもって抱きしめてあげたい気持ちになっています。
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