インタンジブルを深める


   『花の風情』  
     
   

君がため、春の野出でて若菜摘む、わが衣でに雪は降りつつ・・

万葉の歌人と同じように野原をかき分けて露に濡れながら友達が可愛い野の花の写真を故郷から送ってくれます。都会に住む私には大きな慰めです。

朝露をネックレス状に葉の上に並べた白い花、手をつないで並んで咲いている節分草、木に絡まった秋には赤く紅葉するであろう、まだ青い実・・

そして野の花は筆リンドウ、犬ふぐり、節分草、二輪草、つるにんじん、風知草,さぎ草、二人静・・微笑ましい名前ばかり。その風情が想像力をかきたてる。さらに、その奥に潜む、たとえば季節や天候、背景、そしてシャッターを押す人の感性などを深く感じ取ることは大きな喜び。ちなみにその花を摘んで花瓶に挿して眺めてみてください。感動が全く異なることがわかるでしょう。そこにはインタンジブルな背景がないからです。シャッターを切った人の感性や、花の情景が感じられないからです。

背後にある無形の力が花の美しさを倍増させる。花一輪を眺めるときに見えない部分を感じ取ることによって、あなたの喜びは更に味わい深くなります。日常、花を眺めるとき、そんなことにも思いをはせてみてください。

最近の花は横文字も多く、新種改良で次々、新しいものが出てきます。去年買った一年草を今年も買おうと注文しても、もうありません。やっと名前を覚えたのにと、くやしい! 花々は毎年ゴージャスに、見た目に美しく、珍しい色があったりして観賞には十分だが感動という言葉からはちょっとかけ離れます。しかも手っとり早く、メールオーダーで、雑誌、ファックス、電話で注文できます・・便利で早く手に入ります。

野に咲く花は人が分け入ってレンズに収めない限り誰も見ることはできません。もし現実にみたいのであれば、友のように露に濡れつつ足を運ばなければなりません。そして自然界の花を誰も手折ろうとしない。あまりにも可憐な花は、その時の情景と共にシャッターに収めるか、記憶としてとどめるかのどちらかです。

有形美は手に入りやすい。されど・・
無形の美しさは簡単に、手にするわけにはいかないのです。


 
                                                        K.Yamakawa