インタンジブルを深める




   弱きものよ、汝の名は女なり  
   
 

コロナの非常事態です。そこでは、何もかにもが鋭敏に感じられるようになり、浮き彫りになります。自粛生活の中で、子供、パートナー、親との関係があらわになり、自分と他者の関係や、自分と社会とのつながりや立ち位置などをあらためて点検する日々が始まりました。日常生活や経済活動における、あらゆるタンジブルな面での制限の中、今回のパンデミックを、インタンジブルを探る千載一遇のチャンスと考えればどうでしょう。みすみす毎日を無駄にする必要はありません。

直接お会いしたことがないので、マスコミからしか情報は得られませんが、ドイツのアンゲラ・メルケル首相や東京都の小池百合子知事も女性でありながら、トップの立場で、命がけで陣頭指揮をとるその姿勢に感服します。大変な出来事が目の前で起こり、切羽つまった時は女性の出番かもしれません。「弱きもの、汝の名は女なり」とハムレットに言わせたのはシェイクスピアですが、今回のような場合には、そうありたくても弱くなれないのです。目の前の現実が女を強くする感を持ちました。

一つの例ですが、福島の地震、津波、原発の3重事故の起こった悪魔に呪われたような日々、女性の行動力は目を見張るものがありました。赤ちゃんのミルク、食料品の入手、老人の介護、手探りで生きる強さ。地に足がついた強さと言えばいいでしょうか。そこにはロマンチックな理想論や空理空論は通じない過酷な現実のみが横たわっていたのです。そんな時、いち早く赤ちょうちんにむらがり、酒盛りに憂さを晴らしたのは男たちだったと聞きます。家、家族、職場などタンジブルなものが失われ、やるべき事がなくなったとき、男は案外弱さを暴露します。これも男と女の持って生まれた役目や出番の違いなのかもしれません。

私は仕事や家庭を通しての経験から、確固とした意見を持っています。男はジェネラリストとしての能力、女はスペシャリストとしての能力を発揮すれば世の中うまく収まるという考えです。男性には社会や仕事全体を俯瞰してみる能力があります。インタンジブルな世界でも、物理学的根拠や科学的データを通して分析する能力が備わっているからでしょうか。指導者としてのパワーは男性にかないません。さらにカリスマ性があればなおさらです。

そして女の能力、一つのことを、誠実に忍耐力を持って実行してゆく強さ、「汝が強い」のはまさにその点です。弁護士、ドクター、教育者などは職業的にも適役でしょう。結果を出し、安心と信用にもつながるから、世の中に受け入れられるのです。

戦後を生き抜いたゆえに強くなり、自然災害、人間の欲でもたらされる人災や今回のコロナでさらに女は強くなります。シェイクスピアの言葉「弱き者、汝は女なり」は男の願望であったかもしれませんが、そうは問屋が卸さなくなくなりました。それより「弱きものよ、汝の名は男なり」と言われないように、男性本来の指導力を発揮し、世界を牽引してほしいものです。特に今回のような状況においてはそう願います。そうなれば「強きもの、汝は男なり」と、言わざるを得なくなるでしょう。世界のリーダーの誰がそれを見せてくれるのか待たれます。

 
                                                        K.Yamakawa    
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