インタンジブルを深める




   自分を笑う  
   
 

膝関節の手術をするまで、自分のことを肉体的には人より若く、精神は青春のごとくと思っていました。これは大いなる驕りであったので同年配と横並び、間違っても自分は若いと思わないことと痛く反省しています。 
自分を笑い飛ばすのは、ちょっと恥ずかしく、悲しく複雑な気持ちですが、シルバー川柳の助けを得て、自分と自分の年齢をポジティブに考えるようになりました。つまり、笑い飛ばせる年のご利益を川柳からいただきました。

読んでいたシルバー川柳の本の表紙がいきなり「スクワット しゃがんだままで たてません」。まるで私のことを詠まれているのではないかと、心に染み入る笑いを味わいました。

ほんのすこし前まではサラリーマン川柳を読んで、世の中、会社の中、恐妻を相手に生きるサラリーマンの姿に「ワハハ」と声を出して楽しませてもらったのに、さすが、シルバー川柳はドッキリで声も出ません。けれど、おかしく、可愛く、愛しいのです。現実を前に引きずり出し、心の中までドカッと入りこみ、痛いところを突き、しかもほほえましく笑わせ,労りがある。五、七、五という詩の形を文化として日本人が磨いた独特の笑いの手法はあっぱれというしかありません。

フランスの哲学者ベルグソンが「本当に人間的であるものを除いては、おかしさはない」といっています。こんな立派な人がひも解く「笑い」哲学を日本人の編み出した川柳は現実的な解説をしているように思います。インタンジブルな感性がないと楽しめない文化でしょうか?

喜劇役者チャーリー・チャップリンは「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇だ」と名言を残しています。確かに、一つ一つの出来事はその時においては辛いことであっても、多かれ、少なかれ人間の一生には悲喜こもごも、そんなに変わらないと納得しました。苦労を強いられて生きたチャップリンのシニカルな言葉は川柳と通じ合います。

「一万歩 目指して歩き ここはどこ」
「キャッスレス 金欠病かと 孫に問い」
「耳鳴りも ピーシーアールと 音がする」
「ばあさんの 手つくりマスク 息できず」
「景色より トイレが気になる 観光地」
ちょっときついが苦笑い・・・
「長生きは 自己責任と 子に言われ」

こんな川柳を読んだ人のセンスの良さと人間洞察に頭が下がります。

 
                                                        K.Yamakawa