インタンジブルで「モノの見方」を深める


   『ちょっと待て!』 
   
 

時節が巡ってくると芽を出し、花を咲かせる賢い植物。それに反し時節を待たず、いや待つことをせず、行動を起こしてしまう愚かな人間。どうやら「ちょっと待て」の中に潜むインタンジブルなエネルギーの正しい使い方を知らないようです。

私などは「ちょっと待て」を忘れて何度も痛い思いを繰り返しています。以下、最近の笑えない実例です。みなさんには喜劇でしょうが、私にとってはとうてい笑えない悲劇です。

コートの下にエプロンを付けたまま、お医者さんに行った。先生が「ここは整形ですよ。神経内科はお向かいです」「いえ、足のレントゲンを撮りに来たのですけど」これは、笑えない。次回はマジ、神経内科に行かなくちゃ。

毎年、暮れに、兄に美味しい山形牛を送ることにしている。「山川さん、ヤマト宅急便です」「あら、あなた、このお肉姫路市に送るのですよ。間違いじゃございません?」いや、間違いは東京の山川さんのせいでした。差出人と届け先の両方に自分の住所を書いてしまったらしい。

朝は朝で、「電気毛布」のスイッチを切ったか二重確認します。これには訳があります。2年前、ドイツに3週間もの間、電気毛布のスイッチを切り忘れたままで旅行に出ました。空港から疲れ切って自宅に帰り、ばたんきゅーとベッドに横になってはじめて気がついたのでした。毛布が熱い。火事にならなくて、ほんとうによかった。

まして、人と話をするときも「ちょっと待て」の実行を忘れないようにしています。さもないと私などは言いたい放題、無責任な言葉を吐いてしまいそうで、心配です。

年齢とともに「失敗の悲喜劇」のレパートリーが増えます。いまに取り返しのつかないことが起こるのではないかと内心ドキドキものです。就寝する前は少なくても、駅員さんをまねて、「コンロ、よし。 冷蔵庫の扉OK」といそがしい。

1人暮らしの老人がますます増えています。振り込め詐欺にはじまって身の回りのさまざまな危険を回避するには、とにもかくにも「ちょっと待て」の原則が大切です。「待つ」の中には大きな解決力があります。

見えないこの時間的空間にこそ、インタンジブルなご利益(りやく)が潜んでいるのです。そのご利益は、数秒で、数時間、数日で得られるというのに。

 
        
                                                         
   山川和子    
    HOME   Archive