インタンジブルを深める


   『贈る心』  
     
   

子供のころ、母のお使いで隣近所に物を届けたり、親戚のうちに手に入った貴重な食料を持っていったりして、帰りには千代紙で折ったバスケットにあられを一杯入れてもらったり、ドロップ飴やビスケットを「お駄賃」にもらって嬉しさをかみしめていた。
お使いを果たしたという満足感、お駄賃をもらった喜び、見えないもの、見えるものの両方を手にして帰る道は子供の時の忘れえない懐かしい思い出です。手で届けた時代もありました。風呂敷がさぞ活躍したことでしょう。

宅急便で高価なものを送り届けできる時代になりました。贈り物とは心を乗せる品を先方に送るのが本来の目的です。「感謝」「お礼」「挨拶」「返礼」「お見舞い」どれをとっても心が入るという見えない気持ちを見えるもので表す文化です。季節感、タイミングを読む行き届いた作法など、日本にはこんな美しいしきたりがあるのですが、今は義理で、事務的に送るというのが半分ぐらいの割合を占めています。

私は、自分で採取したハーブや手作りの品をいただいたときは、ジーンと心に響く何かを感じます。暖かさ、優しさでしょうか。双方に行き交う見えない心の交流みたいなものです。

海外ではどうでしょう。日本ほど見えない心を重視した風習はあるのかちょっと首をかしげます。大体、お花、チョコレートが本流でマナーといったほうがぴったりだと思います。
手ぶらで訪問できないし、まあ、当たり障りなく・・といったところでしょうか。

しかし一方で非常に知的な贈り物を吟味する海外の人達もいます。それには相手の家庭事情,環境、身分などを考慮した読みのあるギフトです。海外の友達から本も時々頂戴します。私も本をよく贈ります。部屋の一部にアクセントとなるような美しい本は喜ばれます。それを選ぶときには相手の趣味、文化、芸術への関心度などを熟考しなければなりません。

相手に喜んでもらうという行為は高度なインタンジブルな行為です。日本のこんな高度な贈り物文化は無形の美しさの極みです。“見えない心を見える形で表す”。

ますます便利になる世の中、便利な方法がいくらあっても、あなたの見えない心遣い無形の力を発揮して相手との心の交流となります。

 
                                                        K.Yamakawa