孫の健太は、床をハイハイして、壁に手をついてやっと立ち上がり、数歩よろめきました。転んでは立ち上がり、また転んでは立ち上がりと、自力で何度ももがき苦しんでいました。最後には椅子の角に頭をぶつけ、大泣きしながらも、決してあきらめない。この勇気あるエネルギーはどこから来るのでしょう。
赤ちゃんといえども、勇気を出すチャレンジ精神を持っているのでしょうか?
勇気とは、逆風、逆境、不便、欠乏などの悪条件を乗り越え、そこから這い上がり、可能性を求めるために、人間が放つエネルギーです。人生の多くのステージで、子どもも、大人も最後まで勇気をもって困難に立ち向かわなければなりません。
勇気は、年齢や性別に関係なく、誰もが持っている人間の財産の一つです。他の人が不安や恐れ、恥ずかしがってやらないことを進んでやることで、自分がやろうとしたことが実現するだけでなく、自信という、インタンジブルパワー、無形の力を得ることができるのです。
ビジネスにおいて、チャレンジする精神、勇気は、経営者に求められる重要な資質です。これだけでも、リーダーとして部下を惹きつけるはずです。勇気は未来志向です。失敗を恐れない、結果にこだわらない、情熱的で強い意志を持ってやり抜く、といった前向きな姿勢を創り上げます。
さて、あなたはオペラが好きですか? もしそうなら、若くて魅力的な女性の物語はいかがでしょうか。
(モンテリヴィエ インタンジブルセミナー:「女性の歴史 」)
マリー・デュプレシス(1824-1847)は、フランス語でドミ・モンドと呼ばれる陰の社交界に生きた女性です。パリの上流社会に生きた高級娼婦で、わずか23歳で亡くなるまでに、彼女は3つの名前を残しました。ヴェルディのオペラではヴィオレッタ、デュマの小説ではマルグリット、そしてモンマルトル墓地には本名のマリー・デュプレシスの名が刻まれています。いまでも椿の花を持った人々が絶えません。
結核で死ぬとわかっていながら、厳しい環境の中で、語学、文学、文化、芸術を、勇気と努力で吸収していきました。22歳、死の1年前には「伯爵夫人」の称号を得るまでになり、優雅で品格ある女性として自分を磨きあげました。ハンディキャップを持ちながらも、勇気を持って挑戦し続け、芸術家たちの創作意欲の源ともなった椿姫に拍手を送りたいと思います。
最近の新たな発見によると、彼女の最後の恋人はピアニストのリストだったということです。リストはマリーの死の直前、身分の低い彼女とお忍びでコンスタンチノープルへの旅行を希望していましたが、それは実現されませんでした。
オペラの巨匠ヴェルディは、ドミ・モンドに身を置く娼婦を舞台に登場させたわけですが、文豪デュマは、マリーとの実体験を小説として書き残しています。これもまた、大変な勇気ある行動です。
肩身の狭い思いから、自らを奮い立たせ、音楽家のリスト、高貴なペレゴー伯爵、その他多くの男性の心をつかむ魅力的な女性に変身していきました。洗濯女から八百屋、高級娼婦、伯爵夫人へ、わずか8年で登り切った階段の上で、23歳のマリーを待ち受けていたのは、人生の終わりでした。
マリーの最後の言葉があります。彼女がいかに知識人として、教養人として自分を磨いてきたか、そして聴衆を魅了した自信が、その言葉に表れています。
「教養を身につける前の私は、「物」(商品)でした。教養を身につけた後、私は 「者」(人間)になったのです」
勇気とは、逆境や悪条件を克服する可能性を求めて、活用しなければならないインタンジブル・エネルギーです。私もマリーや孫、健太のように、「勇気」というエネルギーを使って自信を身に着けたいと思いますが、あなたはいかがですか?
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