あら、ま?と“あらま”の違いが分かりますか?たった一文字の〝間“の信じられないような無形の力、それは、力というより、力の貯めどころ、スペースと言ったほうが正解です。エネルギーのたまり場です。
“間”は音楽で、充分、味わい尽くしているでしょう。音楽も”間”の芸術です。墨絵の空間、京都の庭の石の配置、生け花の非対称の美しさ、俳句や、和歌のリズムなど本流を支える声なき力。まさに、日本文化は“間”の文化といっていいでしょう。万葉の時代の恋歌はどうですか?〝“君がためー“ぬばたまのー”などと待つ心を歌い、色紙に書いて、モミジの葉の上に、桜の枝に結んで送った文化に比べ、メールや電話で間髪を入れず通じ合う世の中で美しさがどんどん失なわれてゆくと、疲労、ストレス、うつなどにつながります。これらすべて
“間”をなくして得た結果です。
世界中が動き回り、休みなく、せわしなく物事が推し進められる様子は息が詰まりそうです。早く答えを出したい、呑気にしていたら人に出し抜かれる、早い者勝ちと、加速度的に“間”が縮まってゆきます。ほとんどの政治や経済の問題も〝間“を取って進めれば、問題自体が消えてなくなることもあるでしょう。”間“を取らないことは一種の現代病でもあり心理学的には逃避している状態のような気がします。”間“の取り方の名人になったらあなたは、人生の達人です。
人間関係も“間”で保っているのですが、案外私たちはそれに気づきません。親子、夫婦、友達、恋人同士、職場の上下関係、一日、二日置けば影も形もなくなるような問題を追い詰めることによって良い結果、よい返答どころか、犠牲を出したり、いじめにつながったりで社会問題に発展してゆきます。
世界の人たちも“間”の重要性に気づいてください。自然と共存して生きている人達は“間”のある生き方が上手なはずです。文明の発展は時間短縮ばかりに重きを置いて、”間“をどんどん失くしています。
日本を訪れる海外の人に・・歌舞伎を見るならその所作や言い回しに潜む”間“を感じてください。石庭を眺めるなら、禅テンプルと瞑想もいいのですが、石を、大海原の中の島に見立てて、自然がすべて”間”の中に成りたってバランスを保っているのだと感じてください。
理論上ではわかっているつもりの私は、せっかち、短気、即決主義で墓穴を掘っている毎日です。さて私、今日はメールの挨拶はやめて、絵手紙にしよう、しかも万年筆でしたためてみよう、のんびりと“間を取って。無形の力が相手に通じないわけがない。私はそう信じています。
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